花街向島にある、100年前のロンドン(カド編)

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 カド。その扉を開けると、異様とも言える世界が広がっている。あまりにも個性的で、どんなジャンルにも振り分けることのできない世界。何とも表現しがたいけれど、これはまさしく世界中のどこを探しても他には見つからない、ここにしかない空間だ。

 春の陽気にまかせ、浅草から吾妻橋を渡り、新緑が揺れる墨堤を散歩していると、ふと階段を降りてみたくなった。トントンと降りていくと、そこはちょうど見番や料亭が立ち並ぶ一角なのだが、昼間に表を通ってもチントンシャンなんて音色は聞こえてこず、美しい芸者さんたちに出くわすわけでもない。座敷に上がることのない素人には、ここが花街なのかどうかもよくわからないところだ。それよりもむしろ気になってしまったのがこの「カド」という店。

 外壁には大きな石が貼られ、頭上には色あせた横長の看板にポップな蔓性植物柄が踊っている。何よりインパクトを作り出しているのが、ドア横の看板だ。深緑のブローチのような形のフレームの中に、カラフルな手書きの文字で「カド 季節の生ジュース くるみパン」とある。看板メニューはコーヒーではなく、季節の生ジュース。

喫茶店ではないのか? 何だかつかみ所がない。どんな顔で入っていけばいいのかもわからない。そのため最初にカドを発見した時には、その年季の入ったドアを開ける勇気はでなかった。しかし、どうも気になる店なのだ。そこで、少々下調べをしたのち、今回は思い切ってドアを開いてみることにした。

「いらっしゃいませ。」
 キャスケットと丸い眼鏡が印象的なマスターがすぐに声をかけてくれる。挨拶を返し、次々と目に飛び込んでくるものに圧倒された。まずは、カウンターの奥の西洋絵画の数々。天井にも美しい女性の肖像が笑う。目を引くのは絵画だけではない。

壁の大きな振り子時計をはじめ、なぜか9つもある時計や、天井のシャンデリア。カウンターの中に並ぶ陶器の猫や、仏像や、狛犬や、福禄寿のような異国情緒あふれる謎の置物たち。カウンター席の頭上の版画のような装飾も他で見たことがない。それらは一見統一感のないコレクションだが、この空間の中ではなんとなく野生動物のように共生している。