オヨさんの場合

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うちの会社の社長大場(個人名は全て仮名)は社内でオヨと呼ばれている。 「オヨ?」という噴出しが、まことに似合うコミック顔である。小学生時代 は、学校の先生が評するところの、「ひょうきん者」だったと思われる。い まだにホワイトボードの皆の名前に小さないたずら書きをする。桜井は桜丼 に、栗田は粟田に、そして自分の名、大場は犬場とし、ひそかに喜んでいる。

社員は皆、本田宗一郎や松下幸之助みたいな社長に憧れる。 なぜ、うちは 「プロジェクトX」に出てくるような社長ではないのだろうかと思う。しか し、オヨのほうは社員を溺愛しているふうである。転職しそうな人間の黄色 信号に誰より早く気づくのはオヨである。引き止めても辞める人は辞めてい く。最終的には円満退社になるが、オヨは絶対に送別会に参加しない。

「あんなやつ、やめてもいい」と言うが、そういう日は意味もなく早退する。 見送らないのは、多分泣くからだ。とくに女子社員に対しては、迷惑なこと に父親的な視点で見ている節がある。あるとき、「うちの会社の女子は、誰 がなんと言おうとみんな処女だあ! そう俺は信じている」的なことを言っ て、女子一同をどん引きさせた。

下は22歳。上は34歳。女子の婚期が遅れているのは、この男のせいの気もす る。休みの日は、怪しげな寺に赴き、「できれば誰も結婚なんかしませんよ うに」と祈りに行っているのではないか、とまことしやかに囁かれている。 だから、今月、取締役の一人栗ボー(♀・34歳)が、同窓会で再会した同級 生とスピード婚約(再会から二週間)すると、私に嬉しそうに言ってきたと き、真っ先にあの男はどうリアクションしたのかをたずねた。

「まだ言ってないの。でももう両方の親が大賛成! これほど迷いなく結婚 を考えたことなかったもの。彼が言ったの。こんなに人を好きになったこと はないって」と栗ボーは頬を桃色にして語るのだった。オーマイガ……。も はや、桃色マロンの頭のなかには、あの男が入る隙などない。

栗ボーは恋多き乙女である。ドラマのように激しい情熱の恋の果て、涙にく れていたこともある。そんなとき一番多く栗ボーの失恋話に耳を傾け、不器 用ながら励ましていたのはたぶんオヨだったし、本気で心配していたのも、 たぶんオヨだ。栗ボーは、そんなオヨへの報告はさておき、着々と同棲場所 を決め、両親との食事会も終わらせた。

「栗ボー、一日も早くオヨにも言ったほうがいいよ。だけど、寝耳に水の話 だから慎重に。結婚決まりました!っていうと、オヨは驚きのあまり拒否反 応を示すから。だって、彼氏が出来た話もしてないんでしょ。12年も栗ボー の人生を見てきて、それでいきなり『運命の人と再会して来月結婚する』っ て言っても納得するかな。『結婚したいと思う人ができたんだけど、どうし ようかと思って……』と相談形式をとるのが刺激しないと私は思うよ!」

こっちも社内に波風を立てぬため、必死だった。それに、しんどいときだけ 相談して、ハッピーなときは事後報告ってのはあんまりじゃないかと思った。 栗ボーは当面仕事は辞めないという。しかし家庭を持つからには、今のよう なハードワークは卒業せねばという。オヨにとって栗ボーは右腕だ。私にと っては10年机を並べ泥酔を介護してくれた親しみ深い姉であり、もっともコ ワい編集者である。だからいなくなるのは困るし寂しい。

なんてことをセンチメンタルジャーニーしていた数日後、栗ボーがついにオ ヨを近所の喫茶店に呼び出した。……いよいよだ。栗ボーは『相談形式』を 提案した私に、「だってもう決まったことなのよ?」ときらきら言った。少 し怒っていたど、それを凌ぐ強い”恋する女のきらきら感”があり、私は自分 がひどく小さくダサい人間に思えた。

ふたりは会社の近くの「喫茶ポラーノ」に行った。どんな結婚報告会になっ ているのだろうか。2時間後、二人は(一見)和やかにもどってきた。何だ 何だ何だ。私は黙々と机に向かった。オヨに栗ボーの結婚話をふられたら、 聞いてなかったことにするつもりだった。

「よっ。仕事しっかりやってるか!」とオヨは異常に高いテンションで話か けてきた。それから、ものすごい勢いで世間話を始めたが、いつもと違い話 にオチがなかった。

「あのーなんか用スか? 忙しいんだけど」私はあえていつも通り冷たくし た。いつも通りの、のんきで愉快なオヨに戻ってほしかった。

「なんスかじゃねぇよ。このこのこのぉ?」オヨは私のあたまを意味もなく ポカポカとたたいた。少し痛かったけど、今日はやられておこうと思った。 オヨの動揺がビンビン伝わり、せつなかった。

やっと姿を消したと思ったら、こんど他の社員らを『このこのこのぉ?』と やっていた。なんとなく、一連の流れを察していた後輩らは、黙ってポカポ カを受け止めていた。

栗ボーに聞くと、ポラーノでの話し合いは決裂だったことが判明した。オヨ は、栗ボーが結婚という言葉を出した途端、「早すぎ、ありえない」と言っ て耳を塞いだという。そのあと彼は何を思ったのか、仕事の話に力技で方向 転換していったらしい。

そんなわけで、栗ボーは実の父にはさっさと籍を入れろと急かされ、彼にも 早く一緒になろうと迫られ、しかし会社のオヤジには真っ向から反対される という、とってもミラクルなジレンマのなかにいた。

それから数日間、一見、穏やかな社内だが、栗ボーは結婚話を聞いてくれな いオヨに傷つきすこし疑心暗鬼にもなっていた。オヨはときどき壊れたよう にポカポカ星人になった。このままでは、栗ボーは強行突破してしまう。最 悪、引退するかもしれない。私は静かに動揺していた。

だからつい、勢いあまって、「栗ボーの結婚は、私がオヨを説得するから」 と言ってしまった。栗ボーは心底ほっとしたように、「うん、頼む」と言っ た。ああ、いつも私はこうだ。できないことを約束してしまう。オヨの顔を 見ても、何一つ言い出せず、うろうろとうろついてはポカポカやられるだけ の人になっていた。

そんなある日、オヨが突然私に聞いてきた。
「栗田んちのオヤジってどんな人? エリートだっけ?」おや!? 対抗心 か!? でもなぜ?「そ、そうです。栗ボーがちゃらちゃら男遊びしている と、『この欺瞞に満ちた娘め!』とか言うらしいです」

「欺瞞に満ちてる、かあ…。面白いこと言うオヤジだな。一回会ってみるか な」え? なぜあなたが?
「俺、一回会ってみたいな。栗田のオヤジと、あと栗田のあたらしい男に。 栗田含めて四人で飲むかな」

え!?それは一体どんな宴なわけ!?
と突っ込もうと思ったけど、しなかった。

オヨは、何日間も一人で考えあぐねていたのだろう。可愛がってきた社員の 結婚を受け入れられない、ちっちゃい自分をちょっと嫌いになったのかもし れない。”栗田のオヤジ”は、この場合、刺身のツマだ。オヨは、栗ボーの結 婚相手を見たいのだ。会えば単純なオヨはおそらく彼に心を開く。心を開け ば結婚を応援するだろう。しかし、一対一で会う勇気はない。そこで、栗田 のオヤジを相棒に思いついたのだろう。

つまり、これはオヨなりに決心した「結婚おめでとう」会の提案だ。
恐ろしくわかりにくい。

そう思ったけど、なんとなく胸がいっぱいになっていた。だから、「面白そ うです。いいかも」といつもより少し優しく答えた。そこへ出かけていた栗 ボーが帰ってきた。オヨは今の提案を、少しはちゃめちゃを気どり発表した。 「なぜ4人で会わなきゃいけないの? 私、やだな」栗ボーがまたきらきら と反対意見を述べた。
く、く、栗ボーのばかぁ! これはオヨなりの結婚許可宣言なの!


「じゃ、じゃ、あれだ。栗田のオヤジはいいから、会社の連中皆で栗田の男 に会いに行こう! 結婚するかどうかはわかんないけど。でも一応。な、桜 井」とオヨ。人は誰しも意見をくつがえす時は、きっかけもイベントも言い 訳も必要なのだ。オヨよ、どんな葛藤の果ての結論かはわからないけれど、 今日のあんたは勇者だ。だから「呼ばれなくても行く!」と私は言った。

「だってその方がきっと、栗田の男も逃げ場所あるじゃん。付き合ってる女 の会社の社長と会うのなんて、がやがやしてたほうがたぶんいいじゃん……」
とオヨ。逃げ場所が必要なのはオヨ自身だ。私は会社のオヤジの背中を見て 思った。

なぜうちは「プロジェクトX」になれないのか。たぶん、人間がダサすぎる。
ジーンと泣けてくる程ダサすぎる。発明品をつくらないで、日々のささやか な人間ドラマばっかしつくってる。