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『不気味なものの肌に触れる』『親密さ』など傑作の数々で知られ、現日本映画界で間違いなく機軸を担いながら、しかし孤高の存在感を放つ濱口竜介監督。2015年末より全国で順次公開されている『ハッピーアワー』も国内外で絶大な支持と高評価を集めている。

本作は、「時間」の映画である。それを示すのは5時間17分という上映時間。濱口竜介監督は、この史上稀にみる上映時間を使って何を伝えようとしたのか。主人公は、30代の4人の女性。仕事や家事に追われる彼女たちが、離婚、セックスレス、夫との気持ちの距離など個人的な問題が膨らんでいく中で、親友としての関係性にズレを生じさせる。ただ、エモーショナルな揺さぶりをかける見せ方は、一切していない。それぞれの人物をじっくり、静かに見つめて物語を進めていく。大げさな煽りがない部分が、むしろ観る者と映画の親密性を深めているようである。

「これはつい先日の話なのですが、テレビで『天空の城ラピュタ』が放映されていて。Twitterでは毎回『バルス』という呟きでお祭り騒ぎになるじゃないですか。僕も観ていたのですが、テロップで『バルスまであと何分』と、Twitterのサーバーダウンを煽るようなカウントダウンのテロップが出されていたんです。でも結果的に、『バルス』という呟きは前年の半分くらいだったというデータ記事を読みました。『それはそうだろう』と思いました。煽ることで一定数の観客を獲得は出来るでしょうが、しかし『ここは泣く場面ですよ』『盛り上がりますよ』などと提示することは、実は観客が離れてしまうことの方が圧倒的に多い。それは作り手としてだけではなく、ひとりの観客としても実感しています。かなりの人は、煽られると冷める。商業的な判断としてそれは実際にありますし。僕自身、映画を作る上でそこは意識しています。『ハッピーアワー』も、観る人に『こうなってください』という提示は狙っていません」

確かに本作は、誰がどうなるか、それを観る側に待ち望ませるような煽りはない。劇的な装置は仕掛けられていない。それぞれの人物が、自分たちに流れる時間をちゃんと積み上げている。それが「なぜそういう行動をとるのか」「どうしてそんな言葉を口にするのか」という言動の説得力に繋がっている。この時間のかけ方は、良質のスポーツ映画、格闘技映画のトレーニングシーンを連想させるのだ。たとえば、各人物が参加するワークショップや朗読会、もしくは食事中の会話。5時間17分という膨大な上映時間に及んだひとつの要因は、それらの場面にかなり長い時間をかけているからだが、しかしその後の展開の結びつきにおいて、どれも重要に関わってくる。

「そういった場面は当然、編集においてカットの対象となるのですが、しかし切ってしまうと、その後の展開の説得力が弱まってしまう。段階的に発展する様をしっかり見せないと、いずれ起きる感情のもつれや変化に効力を持ちません。それともうひとつ、映画は物語ばかりを語るわけではないということ。そこにいる人、そこにあるもの。それを、ただただ見せていく映画こそ、実は貴重であると思うんです。強力な物語性を持つ映画の中にまじえられた、何も起こっていないように見える場面というのは、個人的には、実は映画的に価値があると考えています。そういうものをまぎれこませることで、そういった映画の経験がない観客の道を拓いていくことができるのではないでしょうか」

『ハッピーアワー』を観たとき、筆者は、当時鑑賞したばかりの『クリード チャンプを継ぐ男』を思い出した。主人公のアドニスが試合に勝利するところではなく、むしろ、ロッキーにトレーニングをつけてもらうために口説き落とそうとするところ、そしてみっちりと練習するところに面白みがある。『ハッピーアワー』で言うところの、先述したワークショップや朗読会の場面にあたる気がした。

「確かに、嬉しい解釈です。なぜなら僕は、そういった描き方に憧れているところがありますから。『ハッピーアワー』は、ある種の成長物語であると思いますが、しかし成長までの道筋をエレガントに飛ばす術を見いだせなかった。たとえば、ドリュー・バリモアが監督した『ローラーガールズ・ダイアリー』。大好きな映画なのですが、なぜ良いと思うのかと言うと、ヒロインがローラースケートを見つけて、久しぶりに履き、最初は滑り方がおぼつかないけど、しかし滑れるようになるまでをワンショットですませちゃうところ。『滑れた』というところから飛躍させて、彼女がローラースケートのチームの一員になっていく。映画としてそういった過程を、説得力を持って見せるのは大変な作業。僕も毎回『どうしたらいいんだとろう』と試行錯誤していますが、あの作品はそれをうまく映しだしているんです。『クリード』にもまさにそれが言える。アドニスは、演じたマイケル・B・ジョーダンの肉体がすでに説得力を持っている。パンチングボールを頑張って叩いているけど、でもアドニスは映画として映しだされていない時間でも、間違いなくトレーニングをしている。そういう説得力が肉体に帯びています。それが映っていることで、物語としてギュっと飛ばせるものがあるんです。演技とは、役柄を通して自分を表現していくもの。『ハッピーアワー』における“自分自身を表現する時間”、それは撮影の期間、長い上映時間として転写されています」

一見、もの語るのが面倒臭さそうな場面でも、ちゃんと時間を使うことで、画として、物語として、人物として説得力が生まれる。

「『クリード』の話ばかりになりますが(笑)、シルヴェスター・スタローン演じるロッキーが、亡き妻・エイドリアンの墓前へ行き。座って新聞を出し、読み、パタっとそれをたたんで、ジムへ向かう。このワンクッションがあるのとないのとでは、大きく違ってくる。簡単にはアドニスのトレーナーを引き受けない、ロッキーが抱えている孤独が合わさります。また、『ロッキー』シリーズには、スタローン自身が蓄えた時間がしっかり存在する。アドニスに比べるとロッキーは大きな動きを見せないけど、しかしかつてのシリーズで過ごした時間があるから、観客も説得力をもって彼を見ることができる。『ハッピーアワー』は5時間17分ありますが、それでも『ロッキー』シリーズのような時間のかけ方には、到底及んでいません。でも重ねた時間、演者が演じた役の時間が、物語の展開にちゃんと生かされている。その結果として、演者やキャラクターが、それまでの自分では辿りつけない場所にたどり着くことができたのだと思っています」

『ハッピーアワー』は全国公開中
◇公式HPはこちら


取材/文・写真 田辺ユウキ(映画評論家)

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田辺 ユウキ
田辺 ユウキ
1979年生まれ。関西を拠点に映画評論家としてレビューやインタビューの執筆ほか、また映画と音楽のプロモーターも務める。2014年に大阪市映像事業「CO2」プロデューサー就任。「大森靖子映画祭」「いずこねこ 最後の猫トーク」などイベント企画も行う。