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『木枯らし紋次郎』、『極道の妻』シリーズなどで知られる大御所・中島貞男監督の、17年ぶりの新作『時代劇は死なず ちゃんばら美学考』。この特別試写会が立命館大学衣笠キャンパス内で実施され、中島監督がトークを行った。

本作は、1959年の東映入社以降、半世紀以上に渡って京都で映画を作り続けた中島監督が案内人となり、映画の黄金時代に隆盛した「ちゃんばら時代劇」を考察するドキュメンタリー。

作品の起点となるのは、リュミエール兄弟が発明したシネマトグラフを輸入して初めて映画興行を行った稲畑勝太郎や、日本映画の父・牧野省三が監督を務めた日本最初の時代劇『本能寺合戦』の歴史。

中島監督は、「まず、牧野省三さんが映画そのものをどのように考え、なぜ作り出し、そしてどうして時代劇を(話の題材に)選んだのかを解き明かしたかった。映画はかつて活動写真と呼ばれていました。つまり、いきいきとした動きを見せることが、映像・映画だったのです。彼がその動きの中で重要視したのが、リアリズム。初監督作の『本能寺合戦』は、すでに歌舞伎で舞台化されていましたが、(歌舞伎のように)様式美や約束事で動くのではなく、俳優にリアルな動きをさせました。それが活動写真の始まりです」と、この映画を作る動機について触れた。

続けて、「活動として何が(題材として)良いのか、それがちゃんばらだった。『本能寺合戦』のミソは合戦。つまり、日本刀で斬り合うところ。ちゃんばらこそ、活動写真にふさわしいと牧野省三さんは考えたのです。また、第二次世界大戦後にアメリカの占領軍は、ちゃんばら映画の禁止令を出したのですが、これは野蛮、残酷だという理由でした。しかし、アメリカにも西部劇があった。いったい何が違うのか。きっとアメリカ人は、ちゃんばらに日本人特有の怖さを見いだしたのではないか。ちゃんばらや日本刀には死生観があるんです。つまり、刀を抜くまでのドラマが重要。ちゃんばらを解明するキーワードは、そこにあるのではないかと考えました」と語った。

ちゃんばらは、単に武士が斬り合って善悪の決着をつけるものではない。なぜ斬るのか、なぜ斬られるのか、そこには強い物語が必要なのだ。また、刀と刀を振り合う、その距離間に関しても、「それは人間同士のコミュニケーション一つだ」と映画の中で語られる。

中島監督は「ちゃんばらは、生死をかけた究極のドラマでなくてはならない。単に格好良いとか、悪いやつを斬り捨てるのではないんです。テレビ時代劇は最後に悪い人間を斬るが、あれはただ(人を)斬っているだけ。そのアクションから生まれてくるものがない。ドラマツルギーが決まりきった殺陣(たて)からは、新しいドラマは生まれてこないんです。殺陣が華麗であり、巧みであればあるほど、虚しさを感じてしまう。その部分をちゃんと考え直すと、また深水のある時代劇が作れるかもしれない」

時代劇は今ではほとんど作られていない。しかし、本作に登場する研究者、俳優、殺陣師らの言葉を聞くと、「古くさいもの」という印象を持たれている時代劇に新鮮さを覚え、「一度しっかり観てみよう」と思えるはずだ。そして、国内外の現代劇で描き足りていないものが何なのか、一方で時代劇にきっちりと描かれているものが何なのか、感じ取ることができるだろう。

中島監督は、「この映画をきっかけに、みなさんに映画との関わりあいをもっと身につけて欲しいです。特に、映画を勉強している学生たち。自分はこういう生き方をしたい、という思いを映画で表現したいなら現代劇で良いと思う。無理をして時代劇を作れと言いません。(時代劇作りには)キャリア、知識が必要だから。ただ、時代劇のように自分の日常と切り離されているからこそ、おもしろい作品は撮れる。客観的になれるから、主人公への同情ができるし、極めて純粋な涙を流すことができる。時代劇には、人間の普遍的な有り様がドラマに込められています」と、ちゃんばら時代劇の魅力を伝えた。

『時代劇は死なず ちゃんばら美学考』は2016年12月3日より全国順次公開
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田辺 ユウキ
田辺 ユウキ
1979年生まれ。関西を拠点に映画評論家としてレビューやインタビューの執筆ほか、また映画と音楽のプロモーターも務める。2014年に大阪市映像事業「CO2」プロデューサー就任。「大森靖子映画祭」「いずこねこ 最後の猫トーク」などイベント企画も行う。