「英語教えてよ」と友達から授業依頼のメールをもらった。
正直今まで私は英語を人に教えるという事をした事がなかったし、むしろまだまだ勉強する身なので、教える価値のある内容になるか不安でお断りしようと考えた。

しかし、これは、教える事によって自分も勉強になるだろうし、またしっかり英語と向き合うきっかけになるのではないかと、引き受ける事にした。

とりあえず、その友達に、“勉強したいと思った目的”、“どこに困っているのか”、“私から何を習得したいのか”、を聞き出し、第一回目の授業に、自分が今までやってきた勉強法がわかる本やノートを持参してきてくれと頼んだ。

私も、今までやってきた教材、参考書やノートなどを本棚から探っているうちに、「何を持って行こう?」、「私がよく使って一番ためになったのはこれだったな」とか考えながら選んだり、「これまだ途中だったな」とか、「まだ弱点克服してないから再開しよう」とか、とても興奮している自分がいた。

基本、学生のころから“勉強”する事自体は好きだった気がする。
習得していく楽しさや解けたときの快感、新しいことを発見して吸収していく満足感。

かといって、それを、楽しさ=快楽としていつでも喜んで取っ付くのかというと、そういう事ではないみたいだ。やはりダイエットのように、言い訳をつけてはサボリがちではある。いや、確実にそうである。

学校という、義務感ある環境は、時間も場所も定められていて、自動的に先生は授業を展開してくれる。
そういった環境が整っていると、積極的にやる。

ニューヨークに行くまでに、空き時間はすべて英語勉強に費やすぞとリミット目標をたてれば、はりきってやり遂げる。

友達が教えてというと、埃をかぶってすらいた参考書たちを開き、意欲的になる。
要は【環境づくり】、なのか?

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ソニン
ソニン
1983年高知県生まれ。2000年歌手デビューし、2003年には「高校教師」(TBS)で女優の活動を開始。舞台や映画に活動の場を広げ、現在に至る。