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 歩きながら、夜のJR上野駅はSF小説の中の駅舎のようだなと思った。広い構内、高い天井、真っ白な蛍光灯の光が降り注ぐ下を、雑多な国の人たちが行き交う。湿度の高い夏の終わりを今、私は左手にビール7缶入ったレジ袋を、右肩にカメラなどの入った重いバッグをかけて、見ず知らずの人の手料理を食べに見知らぬ場所へと向かっている。

そんなことを、例えば家族に話したら「大丈夫?」と心配されてしまいそうだし、自分自身でもここまで来ておきながら、本当にこれから体験することになるのかどうか、実感が持ちきれないでいる。ただ、夜の上野はそんな不思議な気分がよく似合う町だとも思う。

 そんなことを考えながら、さっきまでの霧雨が充満する空気を吸って、のろのろと10分ほど歩き、ついにその場所が近づいてきた。楽しみと、億劫さと、緊張と、疲労感とがごちゃ混ぜの心身で、目指していた建物の前まで来てみると、空気が一変した。ありふれた下町の細い路地なのだが、この一角だけは違う。

建物の広い開口部から白熱灯の暖かい光が漏れ、肉厚な植物たちがジャングルのように葉を寄せ合い、古びたコンクリートや木材や鉄の質感もそのままに、骨太にデザインされた空間。そびえ立つヤシの木がこの一角のランドマークだ。

 デザインというものもまた不思議だと思う。ちょっと怪しげな夜の上野の街の中を歩いてきた時には不安な気持ちもそれなりにあったのに、この一角のデザインを見ただけで、ここにある何かを信じてもいいような気がしてしまうのだから。私は、ほんの少し緊張の糸を緩めて階段を4階まで上った。いよいよ初めてのキッチハイク体験の始まりだ

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諸岡 なほ子
諸岡 なほ子
福岡県大牟田市出身のタレントで、現在、一児の母。作詞家(MONA)としても活動。趣味は読書、散策、落語鑑賞、お祭見物&参加。世界遺産検定2級取得。TBS系「世界ふしぎ発見!」のミステリーハンター、MBS「住人十色」訪問者など多数出演。著書に『地球のどこかの秘境から』(実業之日本社)。
オフィシャルブログ http://ameblo.jp/nahoko/