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《拘(こだわ)りとはリスクを背負った人間の強い欲望なのだ》

『拘ってるねー』とか言われたとき、こちら側としては、その通り“拘っている”ので褒められた気分になる。だが、そもそも自分がその物事について欲求のままエネルギーを注いでいるだけで、他人からするとどうでも良い事で、関係のない事なのだ。

つまり、その“褒め言葉”を言った側は、褒めているわけでもなんでもなく、『私には関係ないけどすごく拘ってらっしゃるのね』というただの感想にすぎないのだと。

では、拘りを持ってはいけないのか、はたまた、人と関わる時は拘りを捨てたり隠さなければならないのか。

私は、“拘り”をたくさん持っている方だと思う。

例えば、「お化粧をする時は眉毛をこういう風な形でなくては嫌」とか、「パソコンのキーボードは英字のみのもので買う」とか、「アイスカフェラテを頼む時は氷少なめミルク多めがマスト」とか、「写真写りは左顔の方が好きだからそっち側がいい」とか、「絵文字のハートの種類はこのハートで」とか。

この程度の拘りは多分多くの人も持っていて、決して冒頭の“リスクを背負っている強い欲望”程ではないかもしれない。では、“リスクを背負う拘り”とはなんなのだろうか。やはりそこは、他人が絡んで来たりするものではないだろうか。

例えば、職場で、自分の主張したい事とは違う主張が飛んで来て、しかしそこには自分の責任も絡んでくるから、なかなか素直に飲み込む事もできず、だがしかし自分が主張をしてしまうと、うまく行くとも限らないし、揉め事になる可能性もある。リスクは多かれ少なかれ、伴う。

主張しないという判断も考えられるが、自分が拘っているポリシーにひっかかるので、自分が関わっている以上、この拘りを無視したくない。

そういった場合、私は、その自分の拘りを、何かしらの方法で表現してしまいます。 でも、ベストなタイミングと方法と言葉も選ぶようにして。

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ソニン
ソニン
1983年高知県生まれ。2000年歌手デビューし、2003年には「高校教師」(TBS)で女優の活動を開始。舞台や映画に活動の場を広げ、現在に至る。