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役者に演技をつけるのは、演出家の仕事のほんの一部

脚本家としてはもちろん、演出家として石井さんの名は今や演劇界で定評があります。演出家は公演の中で、どのような仕事をしているのでしょうか?

石井  おそらく多くの人は、稽古場で役者に演技をつけている姿をイメージされるのではないでしょうか。だけど、演出家がやらねばならない仕事の中で、それはほんの一部に過ぎません。
 まず、企画が立ち上がるのが公演日の1~2年前くらい。キャスティングや宣伝チラシの制作などのこまごました準備を経て、美術、衣装、照明といったスタッフにどんな舞台を作りたいのかを伝えるのは大仕事です。新作で、自分で台本を書くのではない場合は、脚本家にも作品の意図を明確に伝えないといけません。
 舞台のスタッフというのは、それぞれ仕事の流儀や美学がありますから、そういう人たちを相手にして、「あなたのプランはおもしろそうだ。やってみよう」と納得してもらうのはとても大変なことです。お客さんを楽しませる前に、まずスタッフに「おもしろい」と思ってもらわねばならないのです。

2015年11月に初演されたミュージカル『HEADS UP! (ヘッズ・アップ)』も、まさにそのような作業から始めたわけですね?

石井  この舞台の企画は、さかのほれば初演の10年以上前になります。何もない舞台に美術のセットが組み上がり、照明が当てられて、本番をむかえ、最後にすべてがバラされて元に戻るまでの一部始終をお客さんに観てもらったらおもしろいんじゃないかと考えたわけです。
 ところが、いろいろなプロデューサーと会うたび話を持ちかけても、企画が通ることはありませんでした。「おもしろいね」と社交辞令で言ってくれる人はいても、実現することはなく、企画は眠っていたのです。ところが、それを本当にやってみようという奇特な方が現れて、企画が実現することになりました。KAAT神奈川芸術劇場の館長、眞野純さんです。眞野さんは、大道具も舞台監督もすべて経験している演劇人ですから、企画のおもしろさに気づいてくれたのかもしれません。
 どんなスタッフに集まってもらうか、どんな俳優に演じてもらうかを考えるのは、とてもワクワクすることなんですが、これまでいくつものミュージカルを手掛けてきた中で、「また一緒にやりたい」と思った人や、「機会があったら是非一緒にやってみたい」と思う人にお願いしました。

 ただ、主役の舞台監督の役は、ミュージカル界で有名な人ではなく、話題性のある人を配役したいと考えて、哀川翔さんにダメモトでお願いしてみることにしました。実は、哀川さんの事務所の社長は彼の奥さんで、僕は彼と会う以前からの知り合いだったんです。そのとき、「哀川自身は舞台で演技をすることに積極的ではないけど、内緒で私が承諾します。哀川のデビュー30周年の年に石井さんからこういう誘いを受けたことは、運命だと感じるから」と社長が言ってくれたときは、それだけで舞台の成功に一歩近づいたような気がしました。

火事場の馬鹿力が作品をおもしろくする

その後、『HEADS UP!』は、どのようにして形になっていったのですか?

石井  俳優陣の顔見せのときに曲が全部、できあがっていなかったり、倉持(裕)さんの台本執筆もキャスティングと並行して行っていたため、新しく増えたキャストのために場面を足したりする作業などもあって、かなり忙しい日々でした。でも、初演の準備というのはいつもこんな感じで、むしろバタバタしていたほうが火事場の馬鹿力が働いてうまくいくものなんです。おもしろいものでね。
 役者さんたちの中には、副業で大道具や照明のアルバイトをしている人が多いけど、そうでない人もいるので舞台設営の裏方さんの指導で研修を受けてもらいました。

 舞台は板張りになっていて、その上にリノリウムという床材を敷くんですが、僕は2分の曲の中でその作業を完了するという演出プランを立てていました。スタッフに相談すると、「とても無理だ」と言われました。リノリウムは絨毯のようにして巻いて搬入するんですが、一人では持ちきれないほど重いものだし、これをテープで固定するには独特のコツがあるんです。そこで、実際にその作業をやっている演出部のスタッフに出演してもらうことにして、丸1日、試行錯誤した結果、見事に1つのナンバーで作業を終えられることができました。スタッフのプロフェッショナルな仕事ぶりに感動して、泣きそうになりましたよ。
 役者さんたちも、そんな裏方の人たちの仕事ぶりに触発されて、この作品に出演することに大きな意義を感じてくれたようです。

『HEADS UP!』では、青木さやかさん演じる制作スタッフが「演出家がいなくても本番はできる」と言うセリフがありますが、石井さんは本番中、何をしているんですか?

石井  僕の場合、できる限り公演に立ち会うことにしています。稽古の最終日には「これでいける」という手応えを感じて本番に臨んでいますが、実際の舞台にそれを移すとなると微調整が必要だからです。
とはいえ、舞台の袖で芝居を見ていたら邪魔になるだけですから、空いている客席から見るようにしています。だいたい、後ろのほうの席で見ることが多いですね。
 『HEADS UP!』のときは、初日からお客さんの反応がよくて、スタンディング・オベーションが起こったんです。うれしかったですね。感無量でした。

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