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日本舞踊を習っている男子は、金沢でも少数派でしたよ

篠井さんが日本舞踊を習いはじめたのは、6歳のころだったそうですね。石川県金沢市の文化的な風土がその背景にあったと思うんですが、そうは言っても、そんなに早い時期から日本舞踊に興味を持つ子どもは少なかったのではないですか?

篠井  少ないどころか、お師匠さんのところに入門した人たちの中に、同年代の子、特に男の子なんて1人もいませんでしたよ。
 もっとも、おっしゃる通り金沢の町には踊りだけではなくて、お茶の先生、お花の先生、お琴の先生などがたくさんいらして、親戚のお姉ちゃんたちも普通に習い事をしていましたから、僕自身、そういうものに対する抵抗感はまったくありませんでした。
 ひとつ、はっきり覚えているのは、テレビで美空ひばりさんが出演しているテレビの映画劇場の中で、芝居小屋で踊るシーンを見たとき、「カッコいい!」と感激したこと。それが母親に「僕もチントンシャンをやりたい」とお願いをするきっかけになりました。
「テレビに出るような人になりたい」とか、「劇団に入りたい」というのではなく、「チントンシャン」と言ったわけですから、自分がやりたいのが日本舞踊であることは分かっていたんだと思います。

小さいころにはじめた習い事は、成長するにつれ遠ざかっていく人が多いと思いますが、ずっと続けられたということは、日本舞踊の世界が肌に合ったわけですね?

篠井  中学生のとき、当時の金沢では公立校の男子は全員、丸坊主にするという規則がありまして、そんな頭で和服を着るのを恥ずかしく感じて、少しだけお稽古から離れていた時期がありました。でも、踊りそのものを嫌だと感じたことは1度もありませんでした。
 とはいえ、今考えてみると、日本舞踊を習っている男子自体、とても珍しい存在でしたから、お客さんも舞台で踊っている僕を盛んに賞めてくれたし、お師匠さんも辞めさせないように気を遣ってくださっていたんだと思います。そうやって、周囲からチヤホヤされることに味を占めたんですね(笑)。

僕が「女方」を目指した理由

中学、高校では演劇部に所属していたそうですが、舞台俳優になろうと思いはじめたのは、そのことですか?

篠井  そうですね。ただ、一般的な意味でいう舞台俳優ではなく、そのころから「女方(おんながた)になりたい」という願望、というかビジョンがありました。
 というのも、日本舞踊には男舞と女舞があって、それぞれ着物も踊りの所作も違うんですが、お師匠さんはどちらも教えてくれましたし、舞台の上で女舞を踊るということは僕にとって、当たり前のことでした。歌舞伎、能、狂言でも、「女方」は普通にいますから、演劇の世界で女性を演じてみたら面白いんじゃないかという発想は、自然に出てきたものなんです。
 ただ、当時の演劇界の主流は、リアリズムを追求する新劇が中心でしたから、男性が女性を演じる役なんてあるはずもなく、「女の役をやりたい」なんてことは誰にも言えませんでした。
 そんなある日、金沢で上演された文学座の『欲望という名の電車』の公演を観に行ったんです。このとき、杉村春子さんが演じたブランチを見て、僕の中でひらめくものがありました。

 ブランチは、没落した名家出身の女性で、若さもプライドも失っていく中、最後は発狂してしまう悲劇的な役回りなんですが、もし僕がこの役をやったらどうなるんだろう、やってみたいと咄嗟に思ったんです。
 今思えば非常に不遜な考えですけど、歌舞伎の女方の役者さんには、こんなリアルな演技はできないだろうと思いました。一方、女性の心を持った男優が演じても、杉村春子さんが演じたブランチのようにはならないだろう、そう考えたとき、漠然と考えていた「普通の演劇シーンの中で女性を演じたい」というビジョンが僕の中ではっきりと形になったのです。

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