このエントリーをはてなブックマークに追加

歌舞伎、そして「花組芝居」との出会い

「男性が演じる女性」が起用されるお芝居というのは、まったくないわけではありませんが、そう多くありません。篠井さんのビジョンを実現するには、かなり高いハードルがあったように思いますが?

篠井  金沢にいたままだったら、一生かかっても実現できなかったかもしれません。「立派な社会人になるために東京の大学に進学したい」と親を上手にダマして(笑)、日本大学藝術学部に進んだのは、それを実現するための第一歩でした。
 実際、そこで経験したことは2つの意味で僕に貴重な財産をもたらしてくれました。
 1つは、歌舞伎研究会に入って、歌舞伎の女方の基礎を徹底的に学べたこと。この研究会にはすごく厳しい先輩方がたくさんいて、学園祭の公演に向けて死にものぐるいで稽古をするんです。ときには、歌舞伎の舞台に出演している現役の歌舞伎役者さんたちを招いたりもして。
 日本舞踊と歌舞伎の大きな違いは、セリフがあるということです。しかも、娘役、姫役、女房役、老婆役など、それぞれに違う「型」があって演じ方は違います。これをみっちり仕込まれたことは僕にとって、大きな意味を持つことでした。
 もう1つの貴重な経験は、同じようなビジョンを持つ仲間と出会えたことです。大学では1学年後輩になる加納幸和くんは、とにかくフリークとも言える歌舞伎好きで、しかも女方志向の俳優を目指していたので、すっかり意気投合したんです。そこで、「僕らが活動できる場を作ろう」と呼びかけて集まったのが劇団「花組芝居」でした。
 東京って、本当に広くて面白いところだなぁとつくづく感じましたよ。

劇団という場で、やりたいことを自由に表現

劇団「花組芝居」は、やりたいことを思う存分やるためには格好の場だったでしょうね?

篠井  ええ、もちろん。楽しかったですよ。
 加納くんは、そのころから才気走ったアイデアマンで、東海道四谷怪談をジャズミュージカルにアレンジしたりして(1987年初演の『いろは四谷怪談』)、僕と加納くんによる「ダブルヒロイン」の舞台を独特な手法で作りあげてくれました。
 当時は小劇場ブームで、後に有名になる劇団が次々と生まれていた時期ですけど、その中でも「花組芝居」も物珍しさからか注目されて、評判が高まっていったことも何よりの喜びでした。

そんな劇団を、篠井さんは1990年に退団します。何があったのでしょう?

篠井  「花組芝居」は、それこそ自分がやりたいことを思う存分、表現できる場だったことは間違いないことですけど、それが通用するのは劇団という枠があるからで、いつしか外の世界で実力を試してみたいと思うようになっていったんです。
 それに、劇団の活動だけでは到底、食べていけませんでしたから、プロの俳優になるためには一旦、劇団から離れなければならないという思いもありました。

The following two tabs change content below.