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 滔々と流れるあの大きな隅田川で、川開きをしていたなんて今ではとんと信じられない。と言うか、都会で暮らしていると川開きという言葉すら、耳慣れない方言か外国語のように感じてしまう。そして、隅田川花火大会と言えば、その起源は江戸の頃の両国の川開きである。
 大川(隅田川)に架かる両国橋と、そこに群がる人と船。そしてその上にすーっと尾を引いてうち上がる大輪の花火、という浮世絵は、誰もが一度や二度は目にしたことがあるだろう。
 しかし、賑々しい花火のはずが、あの絵を見ていると漆黒の空に打ち上がる花火が、いい知れぬ憂いをたたえているようにも感じる。私がすっかり現代の、何発も同時に打ち上がるスターマインなどの賑やかさになれてしまったせいかもしれないが、その儚気な印象と無関係ではないかもしれないのが、この花火大会の由来だ。

 時は遡り、享保17(1732)年。前年から悪天候により冷夏となったため害虫が大発生し、米は例年の3割にも及ばない収穫高となった。このため、中国、四国、九州の西日本各地が大飢饉に陥ってしまったのだ。

 夥しい数の人々が餓死し、そうでなくても250万人以上が飢饉と疫病に苦しんだ。これは現代でもとんでもない数字なのに、総人口1500〜2300万人ほどと考えられている江戸時代の250万人。なんと10人に1人以上が飢饉や疫病に苦しめられていたという大惨事だ。
 これを受けて八代将軍吉宗は、犠牲となった人々の慰霊と悪病退散を祈り、隅田川で水神祭りを行った。この時に花火を打ち上げたのが、隅田川最初の花火大会なのである。後に両国の花火は娯楽として定着していったのだが、この花火大会にはそもそも慰霊や多くの祈りが込められていたのである。

 そして今年3月11日、日本はまた未曾有の災難に見舞われてしまった。地震、津波、原発の爆発。ニュースでも取り上げられていたように、今年は花見にしろ祭にしろ、とにかく多くの娯楽的なイベントが自粛、中止されたのだが、隅田川の花火大会は、早くにこの由来について触れながら開催を宣言した。そう、今年の花火には、吉宗の頃と同じように、多くの人の励ましや祈りが込められることになったのだ。

 私は、休みを利用して京都へ旅行していたのだが、やはり隅田川の花火大会、特に今年は見ねばなるまいと感じ、花火大会当日の夕方に東京へと舞い戻ってきた。

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諸岡 なほ子
諸岡 なほ子
福岡県大牟田市出身のタレントで、現在、一児の母。作詞家(MONA)としても活動。趣味は読書、散策、落語鑑賞、お祭見物&参加。世界遺産検定2級取得。TBS系「世界ふしぎ発見!」のミステリーハンター、MBS「住人十色」訪問者など多数出演。著書に『地球のどこかの秘境から』(実業之日本社)。
オフィシャルブログ http://ameblo.jp/nahoko/