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 日本橋の欄干に、昭和19年(1944年)の東京大空襲で降り注いだ焼夷弾の痕を見つけたことのある人は少なくないかもしれない。しかし、大正12年(1923年)に起きた関東大震災の爪痕を見たという人は、それより少ないのではないだろうか。
 私も、そんなものがあると知らずに乗り込んだボートで、橋の下をくぐり、ガイドの説明を聞きながら初めてそれを目にした。隅田川の両岸、東京下町の大部分を焼け野原にしてしまった大地震とその後の火災。この時、橋の下にあった船も炎に包まれ、橋のアーチを形成している一部の石を焼いた。その船は油船で石を溶かす程の高温で長く燃え続けたと言う。その為、石の表面が凸凹になり、黒くすすけた痕が残った。間近に見ると、それはちょうど私たちが乗っているボートと同じくらいの幅。その瞬間、一艘の船がここで火の手に包まれたというイメージにぐっと現実味が与えられ、その音や温度までが感じられる気がした。

 35度以上を連発するこの夏の猛暑に、ようやく終わりが見えてきた8月下旬。私は「江戸東京号」という小さな船に乗り込んだ。ある団体が開催している「日本橋川コース」だ。江戸時代、日本各地から江戸に集まってくる物資は、陸運よりも舟運により、江戸湊から河岸地である日本橋や京橋へ運ばれ陸揚げされた。その時の大動脈であった日本橋川をボートで巡るというもの。集合場所である「日本橋船着場」は、日本橋のたもとに一昨年作られたばかり。現在の石造りの日本橋が完成してから100年目の2011年、水辺再生をめざして日本橋南橋詰めに作られたのだ。日本橋を渡りながら川を見下ろすと、その、必要最低限の要素でできている慎ましい船着場と、そこに渓流されている小さなボートがあった。

 受付をして、救命胴衣を腰にまき、乗客10名とガイド1名、操縦士1名が船に乗り込む。それで満員になるボートはカリフォルニアのボートメーカーのものだそうで、青と白の小洒落たデザイン。なにより、電気で動く為にとても静かだと言うことが素晴らしい。ガイドの方も拡声器など使わず、普通の話し声で全員に声が届く。船頭さんが歌なんか歌ってくれる船旅に憧れてしまう私であるから、この静けさはほっとする。


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諸岡 なほ子
諸岡 なほ子
福岡県大牟田市出身のタレントで、現在、一児の母。作詞家(MONA)としても活動。趣味は読書、散策、落語鑑賞、お祭見物&参加。世界遺産検定2級取得。TBS系「世界ふしぎ発見!」のミステリーハンター、MBS「住人十色」訪問者など多数出演。著書に『地球のどこかの秘境から』(実業之日本社)。
オフィシャルブログ http://ameblo.jp/nahoko/