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2013年09月26日配信

新潮45編集部・宮本太一記者が、ひとりの死刑囚の衝撃の告白をもとに、未解決殺人事件の真相を追っていったノンフィクションの映画化『凶悪』(公開中)。死刑囚・須藤(ピエール瀧)の口から語られた、知られざる3つ残酷な余罪。雑誌記者・藤井(山田孝之)はジャーナリスト魂、正義をかけて、事件の首謀者・木村(リリー・フランキー)を探っていく物語だ。



「酒を延々飲ませ続けて殺す」など、次々と登場する非情な殺人方法。苦しみ悶える被害者、それを笑い、楽しそうに殺しを行う加害者。だが、実際の凶悪犯罪がそうであるように、ハードコアで凄惨な内容であればあるほど、視聴者としてそれを「知る側」は、どこかハイなテンションになっていくことがある。テレビ、新聞、雑誌は犯人と被害者の素顔、その関係性をスキャンダラスに暴きだし、エンタメのようにコメディー化、バラエティー化していく。そういった流れが作られるのは、ある意味、それぞれの人間に眠る“凶悪”がくすぐられている瞬間でもある。

メガホンをとった白石和彌監督は、そういった風潮に「資本主義にいる以上、ニュース、新聞、雑誌は売れてナンボの世界だけど、それでも、おもしろく報じるマスコミについて『そういうことでいいの?』と疑問を持っていた」という。

「でも、いざこの題材を進めていくと、自分たちも確かに気持ちが高揚していきました。ただ、絶対に忘れてはいけないのは、そこに必ず被害者がいたということ」

この本作と近い題材として、白石監督が師事した若松孝二監督『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』、『凶悪』プロデューサー・千葉善紀が携わった園子温監督『冷たい熱帯魚』、また殺人を犯した活動家と本物のジャーナリストを目指す青年記者を描く山下敦弘監督『マイ・バック・ページ』などが思い浮かぶ。いずれも、過度な“凶悪”が人間のおかしみを生む様子に触れている。だがその物語を観るとき、そこで人間が死んでいるという事実をテーマから喪失させてはいけない。

「まさにその通り。藤井は妻(池脇千鶴)に「(事件を追いかけて)楽しかったんでしょ」と言われるけど、当然おもしろいに決まっている。劇中の殺人シーンはすべて藤井が自分の頭のなかで思い浮かべているもの、という位置づけなんです。そして、どこか事件が狂っていればいるほど興奮していく。すごいものを追っかけているぞ、と。だから須藤、木村のあり方は、藤井が脚色・誇張させているもの」

藤井を演じた山田孝之は、この『凶悪』を「人の愚かさを伝える映画」と語る。

「藤井が事件を追う理由のひとつとして『正義』が挙げられる。でも、僕は正義と悪なんて存在しないと考えています。なぜなら、片側の視点では正義と思われるものも、もう片方から見ればそれは悪になる。つまり、見る場所の問題なんです。スーパーマン、バットマンが悪を叩きののめす姿に観客は気持ち良くなれるけど、しかし現実的に考えるとそれは一方通行な視点によるその人だけの正論、押しつけの暴力でもある。凶暴さは誰しもが根本に持っている。それが表に出るか、出ないか。殺人を犯すなんてとんでもないことだけど、実際にそれは起こっている。『凶悪』はそうならないための警告。『いかに自分がそこに行き着かないか』を考えるきっかけになる」


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むしろ『なぜ、こんなことが起こるんだ』と泣きそうな気分になる─白石和彌監督

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田辺 ユウキ
田辺 ユウキ
1979年生まれ。関西を拠点に映画評論家としてレビューやインタビューの執筆ほか、また映画と音楽のプロモーターも務める。2014年に大阪市映像事業「CO2」プロデューサー就任。「大森靖子映画祭」「いずこねこ 最後の猫トーク」などイベント企画も行う。