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2013年04月10日配信

言葉の変化は、その時代に生きる人の姿をあらわす。三浦しをんの同名小説を映画化した『舟を編む』(2013年4月13日公開)は、1995年から15年にわたって辞書作りに取り組んだ編集者たちの姿を描き、日ごろ何気なく使っている言葉の大切さ、そして声に出して自分の気持ちを伝える必要性を投げかける物語である。

メガホンをとったのは石井裕也監督。ヒロインの姿を通していまの社会ムードを「中の下」と表した快作『川の底からこんにちは』など、オリジナリティーに満ちあふれた作品を次々と送り出す若手実力派。今回、原作の映画化に初めて挑んでいる。

「原作を読んだとき、テーマとなるのは“静かなる情熱”だと強く思いました。地道にコツコツと、そして淡々とした情熱を(原作から)受け取りました。そしてもうひとつは、懐かしさ。それは、編集部の人たちが手作業で辞書を作ることに由来しています。その姿、その作業はとても温かく、人間っぽさを感じたので、それをしっかりと映画に反映したかったんです」

主人公の馬締(松田龍平)は、辞書編集部に配属され、気が遠くなるほど膨大な量の言葉と日々格闘しながら辞書作りに取り組む。言葉の魅力にとりつかれ、辞書のおもしろさにはまりこんでいく。一方で、片想い相手・香具矢(宮?あおい)には、自分の気持ちをしっかり言葉として伝えることができない。

「辞書作りにおける情熱は、テーマ的にコアとなる部分。ストーリーやドラマ的には、コミュニケーションについてどう描くか、それが核になりました。自分の想いをいかに他者に伝えるか。そのツールとして言葉がある。ただ僕自身、この映画を作るにあたって『言葉っていったいなんなんだ』と考えこみ、迷子になるところもありました。そこでなんとなくぼんやり浮かんだのは、『言葉とは、優れて人間なるもの』ということ。要するに不確かさ、曖昧さ、言葉のもろさは人間に限りなく近い。人間が破綻すれば、言葉も破綻する。逆も然り。そういう相互関係があると思うんです。いまではインターネットで気軽に発言ができる時代ですが、発した言葉が、思いもよらない方向へ行ってしまう場合があったりします。不注意な発言で言葉の価値がおとしめられてしまうこともあると思います言葉を発するということは、大切なことであり、また非常に危ないものなのかもしれません」

物語の起点となる1995年は、Windows95が発売され、インターネットサービスが一般レベルで根づくきっかけとなった年。言葉を発するフォーマットに大きな変化をもたらした時期である。便利になった一方、その発展として、わずかな距離の相手に対してもコミュニケーションの断絶が叫ばれる時代にもなった。『舟を編む』は押しつけがましくなく、しかし今一度言葉を相手に届ける作業について考えさせる。特に、インターネット上に強じんな言葉が並び、言葉の自警ともいうべき動きまで発生した「3.11」直後の違和感が今なお鮮明な筆者としては、本作の「言葉と人の関係」は、非常に心地よく、また懐かしく感じた。

「言葉を発することは、人として本当に大切。特に、人とつながるためには必要不可欠です。何かを発する前に一度思いとどまり、考え直す作業が必要だと思います。映画のなかで馬締が、香具矢に恋文を渡して失敗するエピソードがありますが、まさにそれが例です。本質的な人間と人間のつながりには、時には言葉を逡巡したりして相手に気持ちを正しく伝えるために思いなおすことも必要かと思います」

馬締はたくさんの言葉を学び、知っていく。しかし大事なのはそれを人にどのようにして伝えるか、ということ。彼は、しっかり、丁寧に口にだして伝えられるようになったからこそ、大切な人たちの信頼を得ていく。そして人間として大きくなっていく。『舟を編む』は、言葉を通して自分自身と向き合い、成長するヒントを与えてくれる。


『舟を編む』◇公式HPはこちら



取材/写真・文 田辺ユウキ(映画評論家)


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田辺 ユウキ
田辺 ユウキ
1979年生まれ。関西を拠点に映画評論家としてレビューやインタビューの執筆ほか、また映画と音楽のプロモーターも務める。2014年に大阪市映像事業「CO2」プロデューサー就任。「大森靖子映画祭」「いずこねこ 最後の猫トーク」などイベント企画も行う。