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 1954年、18才の時発表した「悲しみよ こんにちは」で小説家デビューしたフランソワーズ・サガン。彼女の華麗で破天荒な生涯を描いた映画「サガン −悲しみよ こんにちは−」がまもなく公開される。宅ふぁいる便では、公開を前に来日したディアーヌ・キュリス監督とサガンの実の息子であるドニ・ウェストホフ氏を取材した・・・映画詳細はこちら>>



 サガンが、18才の夏に6週間で書き上げ、発表した「悲しみよ こんにちは」世界中でベストセラーとなり印税5億フラン、日本円でおよそ354億円を稼いだ。

 サガンは、お酒とスポーツカーを愛し、サルトル、ピカソ、ミッテラン元大統領などとの華麗な交友関係、結婚・離婚を2度経験。ギャンブルも好きで、派手で遊び好きな性格。車の事故、ドラッックと脱税での有罪判決などスキャンダラスな私生活が常に注目の的となっていた。2004年に死去している。


─お金にまつわるサガンの生涯

 サガンの発表する小説が、次々にベストセラーとなり、莫大な円税を手にする。彼女の派手な浪費の私生活が赤裸々に描かれている。

「サガンは大金を稼ぎ、不自由のない恵まれた生活を送った。お金を数えるより、生きてゆくほうが大切だとして、派手にお金を使っていたの。本当の芸術家だと思うわ」

とキュリス監督は語る。一方、サガンの息子ドニ・ウェストホフさんは、

「浪費してお金に頓着が無かったのは本当。でも、お金に困っている多くの人も助けたよ。でも、彼女の人生の最後の数年はお金に苦労したよ。映画で一番驚いたのは、カジノから車で出るシーンだよ。車の窓からお札を散らばらすんだけど、いくらなんでもこんな扱いはしなかったはずだよ(笑)。監督はあくまでも比喩だと言っていたけどね(笑)」



─サガンの息子ドニ・ウェストホフさんの協力

「彼が納得してくれなければ、この映画はないと思ったわ。彼の持っている視点・感覚を信じたの」

とキュリス監督は、ドニ・ウェストホフさんの映画への協力について語る。サガンのしぐさや、姿勢、化粧の仕方、またアパートの家具、車まで細かに助言していたという。

「時には非難もあったわ。でも映画作りに力を与えて励ましてくれた。今は感謝しているわ」(キュリス監督)


─サガンに惹かれて・・・

 キュリス監督は、83年発表した「女ともだち」で米アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされ注目される。これまで女性を主人公にした自伝的な作品を多く手がけている。

「サガンの人生はとても自由で、常に時代の先を行っていた。山あり谷あり、いいことも悪いことも。そんな彼女の両面にひかれたの」
と映画化のきっかけを語る。



 キュリス監督が、映画製作にあたり、サガンの息子ドニ・ウェストホフさんに初めて会った時、サガン本人に会っているような気持ちになったという。

「顔の上半分は、そっくりとよく言われるよ。今日は持ってきてないけど、金髪のカツラをかぶると余計に似てるんだ(笑)」(ドニ・ウェストホフ)

また、映画化の話をされた時は、

「母が死んでそれほど時間が経っていないのに、フランスではもう忘れさられようとしていた。なので、映画化の話が来たときは嬉しかったよ」(ドニ・ウェストホフ)


次のページでは・・・
・サガンの実際


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羽渕 比呂司
羽渕 比呂司
 大阪ガス行動観察研究所社員