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世界中の誰からも、翌日にはその存在を忘れ去られてしまう不思議な少女。そして、彼女のことを何とか自分の中にとどめようとする少年。映画『忘れないと誓ったぼくがいた』は、「記憶すること」をテーマにしたファンタジックなラブストーリーである。

本作の主人公・葉山タカシも、忘れ去られる少女・織部あずさのことを、忘れないように映像、メモに残していく。その物語を観て、10分間しか記憶が保てないため、出会った人や訪れた場所をカメラで撮り、大切な出来事を身体に刺青として彫りこむ男の物語『メメント』を連想した。

メガホンをとった堀江慶監督は、「確かに、『メメント』のように、やんわりと(思い出を)忘れていく表現にこだわりました。世界共通で、織部あずさのことを忘れてしまうので」。堀江監督の代表作『ベロニカは死ぬことにした』は作品評だけではなく、真木よう子がヌードに挑んだ熱演も話題になったが、時間が経っても、今では鑑賞者の記憶だけではなく、インターネットなどでもずっと残るようになった。

この映画では、あらゆるメモリーツールを使っても、織部あずさの存在は誰にも認められない。「ネットで拡散されても、人間が話題にしていける物事には限界があると思うんです。多くの人が、自分のプライベートをこれだけ広げたがっている時代なのに、それでも忘れ去られることの方が多い。ネット文化特有の記憶のあり方。やはりリアルな人間関係を大切にした方が良いと思います」

葉山タカシを演じたのは村上虹郎。父親は役者・村上淳、母親は歌手・UA。両親はそれぞれ自分たちで作品を残し、そして多くの人の記憶に影響を与え続けてきた。「僕は父親と同じ役者の道を選んだ。音楽は、自我がはっきりと出る。一方で映画は“いたこ”のようなもの。自分の身体を、役に貸す。そこで(キャラクターを)引き寄せていくもの。そういう中で、自分の成長が記録されていく。以前、父親に『今、虹郎は迷っている。役者をやることで、自分が何者なのかということに近づけるかもよ』と言われて、(俳優を)やろうと決意しました」。

織部あずさのことを忘れまいとすればするほど、周りと同じ“忘れてしまう世界”に飲みこまれかけていく葉山タカシの苦悩が物悲しい。

「どのようにタカシを演じようか、すごく考えました。そこでまず、彼の人間像を掘り下げたんです。優しくて、いいやつ。何の変哲もないし、嫌味も言わない。あと、ムダがムダに見えないところがある。彼のイメージを掘り下げるうちに、自分もタカシの顔になったと思います」

劇中、フランソワ・トリュフォー監督の名作『大人は判ってくれない』について触れられるが、この物語の少年、少女は、自分たち以外、誰も判ってくれない世界に生きている。そういう切なさを感じ取れる作品だ。

映画『忘れないと誓ったぼくがいた』は全国公開中
◇公式HPはこちら


取材/文・写真 田辺ユウキ(映画評論家)

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田辺 ユウキ
田辺 ユウキ
1979年生まれ。関西を拠点に映画評論家としてレビューやインタビューの執筆ほか、また映画と音楽のプロモーターも務める。2014年に大阪市映像事業「CO2」プロデューサー就任。「大森靖子映画祭」「いずこねこ 最後の猫トーク」などイベント企画も行う。