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クライヴ・オーウェン、モーガン・フリーマンをキャストに迎えた、紀里谷和明監督のハリウッドデビュー作『ラスト・ナイツ』(公開中)。不正がはびこる国政を悲観する君主・バルトーク卿は、悪徳大臣の賄賂要請を断り、さらに刃を向けた反逆罪から死刑を下される。そして斬首役に任命されたのが、バルトーク卿の愛弟子である剣豪・ライデン。師を自らの手で処刑した彼はその後、失意の生活を送ることに。ライデンをはじめとする気高い騎士たちは、どのようにして報復の闘いに打って出るのか。

紀里谷和明監督は「戦うこと」を映画で表現し続けて来た。1作目『CASSHERN』の、「僕らはお互い許し合うべきだった。お互いがこの世に存在するということを」という台詞。「暴力の連鎖」は9.11以降の現実の世界をより強く意識させ、以降の『GOEMON』、そして今作でも「なぜ人は争い続けるのか」を問いかけた。

「分かりやすく形として、闘うことについて描くのは『ラスト・ナイツ』が最後になると思います。今後のテーマは『向き合うこと』。そもそもなぜ闘うのか、それは相手と、そして自分自身と向き合っていないからなのだと、僕は考えています。国家間の対立も、争う相手と向き合っていない。ちゃんと話していない。目を背けて、攻撃だけ仕掛けてしまう。相手がどうしてそう思っているのか、自分はどう思っているのか。理想論に聞こえると思いますが、でも僕は自分の意思を、映画でちゃんと語りたいです」

横暴な強権に憤るライデンやバルトーク卿だけではなく、悪役の大臣ギザモットにも、「なぜそのようなことをするのか」と、観る者をちゃんと向き合わせる。ギザモットは、力が強いわけではない。そんな彼が上にのぼり詰めるための、その手段。人間臭くて、映画の中では憎むべき相手でありながら、どこか自分に重ね合わせてしまう。

「ギザモットは弱さを持つキャラクターなんです。だからこそ、興味深く観察できる。人間は弱いものですし、富、名声、立場を得られれば、それを守ろうとするのは当然のこと。僕もそういうところはあります。ギザモットは権力を手にしても、決して幸せそうには思えないじゃないですか。悪役でありながら悩んでいる。その苦悩し続ける様を見て欲しい」

感情移入できる映画がおもしろい、というわけではない。だが、この『ラスト・ナイツ』は、決して偏った話ではなく、多くの人の気持ちをとりこめる要素がたくさん盛りこまれているのが、おもしろい。紀里谷和明監督自身、そのキャラクターから印象論で語られがちだが、実際に向き合うと、男女関わらず相手を引きつける魅力的な人間性の持ち主だ。

「僕は何事でも、『これは、こういうものなんだ』という定義を崩したい。『CASSHERN』のとき、よく『日本映画はこういうものだ』『お前の映画は邪道だ』と指摘や否定をされました。でもそれ自体が、ジャンル分けじゃないですか。もっと幅広く物事を見て欲しいんです。お名前を出すのは大変おこがましいですが、しかし黒澤明監督、宮崎駿監督は圧倒的な間口をもってして、世界中のあらゆる人にその映画を浸透させていった。僕にとって映画を作っている意義は、そういう部分なんです。本来であれば人々を繋ぐはずの芸術が、『この映画を好きな人は、こういうジャンルだ』というように今や分割するものに使われている。そういう隔たりを、少しでも緩和させたいです」

映画『ラスト・ナイツ』は全国公開中
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取材/文・写真 田辺ユウキ(映画評論家)

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田辺 ユウキ
田辺 ユウキ
1979年生まれ。関西を拠点に映画評論家としてレビューやインタビューの執筆ほか、また映画と音楽のプロモーターも務める。2014年に大阪市映像事業「CO2」プロデューサー就任。「大森靖子映画祭」「いずこねこ 最後の猫トーク」などイベント企画も行う。